山口市徳地八坂は山口県中央部、佐波川の中流域、支流の三谷川との合流点に開けた集落。 江戸期は萩藩領、徳地宰判に属していた。 江戸初期には下徳地村の一部であったようで、慶長5年(1600)の検地帳では下得地、慶長15年(1610)の検地帳には下徳地とある。「地下上申」(享保11年(1726)分)には独立した1村として記され、1,105石余、家数133・人数495とある。同書の延亨5年(1748)分によると1,109石余、家数194・人数665。「注進案」では1,175石余、家数194・人数793であった。 村内を防府と石州を結ぶ三田尻街道が南北に通り、乙女には駅場が置かれていて、古くから山陰・山陽を結ぶ交通の要衝であった。農業を中心とした集落であったが、紙漉きも盛んで、「注進案」によると農閑期には半紙340丸・雑紙70丸・木履2,000足・楮皮680貫程を産出していた。 今集落内を歩くと、旧街道沿いに民家が点在する。町並を形作っているところも見られ、商店や旅館も営業されていて、比較的活気ある集落との印象を受けた。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 1988年 山口県の地名 平凡社 下中邦彦 昭和54年 |
徳地八坂の町並 |
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