出雲地方の中央部、斐伊川の支流、三刀屋川の下流部右岸に位置する。三刀屋村の中で三刀屋川に沿った形で、L字型の町並みが形成されていた町場を三刀屋町といった。江戸時代を通じて松江藩領であった。 三刀屋町は中世末に三刀屋氏・毛利氏・堀尾氏により西出雲における戦略拠点として整備される中で、城下町を形成しつつあったのが町の始まりという。元禄9年(1696)の三刀屋町地銭御検地帳では、すでに下町・本町・横町に区分され、屋敷の寸法や所有者まで記載されている。 郡家を中心として南北に町場が形成され、木綿や紙の市が立っていたようだ。 寛政4年(1792)の記録によると、町の長さ5町、家数112・人数531、但し篭数172とあり60程の借家が存在していたようだ。 明治初年の「郡村誌」によると、家数240・人数972・牛24。主な生業は農業72・商業70・木挽4・鋸屋2・桶屋3など多種な職業があったようだ。 今、古い町並みは松江〜三次を繋ぐ旧出雲街道に沿って展開し、南北に長い町並みを形成している。 伝統的な様式で建てられた大きな商家建物も見当たらないが、かってこの地の在郷町として賑わっていた頃を彷彿とさせる町並みが残っている。 赤瓦と黒瓦の入り混じった町並み。中2階建て・2階建て・平入り切り妻造り。漆喰塗込めの家屋も散見できる山陰地方独特の町並みであった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和54年 島根県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1995年 |
三刀屋町三刀屋の町並 |
三刀屋町三刀屋の町並 |
三刀屋町三刀屋の町並 |
三刀屋町三刀屋の町並 |
三刀屋町三刀屋の町並 |
三刀屋町三刀屋の町並 |
三刀屋町三刀屋の町並 |
三刀屋町三刀屋の町並 |