宇部市船木は旧楠町船木で、山陽道が通り、船木市があった集落。江戸時代を通じて萩藩領。 船木村は慶長15年(1610)の検地帳によると屋敷144ヶ所・市屋敷145ヶ所で大きな市町のある村であった。「防長風土注進案」では、船木村・船木市村・逢坂村に分けて記され、船木村は家数79・人数349とある。船木市村にある御茶屋・代官所・勘場・御物送御番所は名目上この村に入っていた。 船木市村は前述のように慶長15年(1610)の検地帳で市屋敷145ヶ所、寛永2年(1625)検地帳では同じく143ヶ所とある。古くから山陽道に沿って発展した集落で、山陽道筋の本通りと、それに並行した裏町のある船木市が町割りの骨格を成していた。「防長風土注進案」では家数384・人数1,544とあり、多種多様な経済活動が行われたいた。中でも石炭と櫛は早くから船木の特産として著名であった。 村の経済活動の中心は船木市で、本町筋の家数は126軒、山陽道に沿う市町(今の楠総合支所あたり)には本陣御茶屋・代官所・勘場・番所・高札場・旅人荷付場・駅が置かれていた。駅馬は享保19年(1734)には10疋(防長地下上申)、であったが天保13年(1842)には15疋(防長風土注進案)で、人足の定員はなかった。 船木市村軒数384軒のうち、宿役軒数は135軒あり、全て本百姓扱いであった。 町並みは旧山陽道に沿って東西に展開している。東は願生寺・岡崎八幡宮近くから、西は国道2号線と交わる茶屋辺りまでの約600m程の間だ。その中程に旅人荷付場の案内板が設置されていた。 切り妻造りの平入り、妻入りの建物が混在している。只切り妻造り妻入りと言っても、入母屋造りのように軒を出した九州地方に多い造り方の建物だ。その形式の妻入りの建物が多いのもこの町の特徴のようだ。屋根瓦は赤褐色と黒鼠色が入り混じっていた。 白漆喰塗込めの2階建ての建物も妻入り、平入りが入り混じっているが、虫籠窓でなく、角型の窓が備えられている。この形式は九州北部に多い建築様式のようで、そういえば同じ山口県柳井市の古い町並みにもこのような白漆喰塗込めの四角い窓の家が多かったと思う。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 1988 山口県の地名 平凡社 下中邦彦 昭和55年 |
船木の町並み |
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