蔵迫は石州街道(石見浜田路)に沿った町並で、赤い石州瓦の町並が展開する集落である。江戸時代は広島藩領であった。享保12年(1727)山県郡村々諸色覚書によると村の広さは東西18町余・南北1里5町余、戸数91・人数414、牛34、馬16であった。町場の長さは2町、幅2間で戸数39であった。 「国郡志書出帳」によると戸数116・人数507。馬20・牛50。浜田藩の参勤交代の道でもあった石見浜田路にそって町並みが形成されていた。農業を中心とする村で、農間余業は男の藁仕事、女の木綿布織延べとなっていた。 今 町並は赤褐色の石州瓦の町並で、造り酒屋もあり、江戸時代には街道筋の集落として賑わっていたのだろう。ただ街道筋といっても伝統的な切り妻造り平入りの商家の建物は少く、石州瓦の町並として見る以外に、これといった特徴が無い様に思う。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和62年 広島県の地名 平凡社 下中邦彦 1982年 |
蔵迫の町並 |
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