田布施町下田布施は山口県東南部、田布施川下流域に位置する。 中世末頃まで田布施・波野辺りは内海で、寺家田辺りは大潮の干満があって唐戸の迫門と称されていた。総じて浅海で干潟の地が多く、江戸期には盛んに開作が行われた。 江戸期は萩藩領、上関宰判に属す。 慶長15年(1610)検地帳では、田布施村とあり4,669石余、寛永2年(1625)検地帳では5,156石余。 古くは田布施村であったが、江戸中期の享保5年(1720)に上田布施村と下田布施村に分けられた。 「地下上申」によると田布施村1村であるが、内訳は上・下田布施村と分けていて、総高は4,080石余、元文3年()分では総家数464・人数1,650。 「注進案」ではそれぞれ独立村として記載されている。総石数4,152石余、総家数585・総人数1,406とある。 農間余は木綿・菅笠・塩菰・縫筵・本筵・畳縁などを産出した。 田布施市が開かれていて、毎月2回開かれていたが、中でも1月4日と12月26日の市は賑わった。 田布施市の町筋は三筋があった。 今、下田布施の古い町並は田布施市が開かれていた辺りに展開している。白漆喰塗り込めの虫籠窓を残した商家の建物が多く残っている。なかなか良い光景が見られる町並だが、連続して建ち並ぶとは言えない。平入妻入り・虫籠窓を備えた中二階建て・黒桟瓦の商家建物である。赤瓦の建物は見かけなかったと思う 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 1988年 山口県の地名 平凡社 下中邦彦 昭和54年 |
商 下田布施の町並 |
下田布施の町並 |
下田布施の町並 |
下田布施の町並 |
下田布施の町並 |
下田布施の町並 |
下田布施の町並 |
波野の町並 |