周南市須万は山口県南東部、錦川の上中流域に位置する。 江戸はじめは萩藩領、元和3年(1617)からは徳山藩領。徳山藩政下では、須万上村・須万下村に分けられていた。 村高は慶長15年(1610)検地帳では須万とあり3,512石余、寛永2年(1625)検地帳では須万郷とあり4,332石余、「天保郷帳」5,212石余、「旧高旧領」4,738石余。 元文5年(1740)には家数633・人数2,503。 徳山藩では紙漉きを奨励し、貢祖はすべて紙による上納であった。市の開設は紙の生産地として発展してからで、元禄3年(1690)に始まり、元文年間(1736〜41)には宮ノ原で相当数の家が軒を並べていたという。 今回訪ねた須万はこの地域の政治・経済の中心地だったことろで、多くの商店が営業していたが、今は殆どが営業を休止し、町中もひっそりと静まり返っていた。 でも、そんな中に、白漆喰塗り込めの虫籠窓を備え、妻を街道に向けた大型の商家建物が目についたが、人が住んでいる気配が無いのには心痛む探訪だった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 1988年 山口県の地名 平凡社 下中邦彦 昭和54年 |
須万の町並 |
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