周南市鹿野上は山口県東部、中国山地の背梁を境に島根県鹿足郡吉賀町に接し、錦川の上流部に位置する。支流渋川の合流点の東側に開けた町並で、盆地の底部をなしている。 江戸期を通じて萩藩領、前山代宰判に属していた。鹿野上村は江戸中期、賀野村が鹿野上・鹿野中・鹿野下・大潮の4ヶ村に分村して成立。 村高は元文5年(1740)2,947石余、「天保郷帳」では賀野村7,823石余のうち、「注進案」では鹿野上村と見え2,975石余、「旧高旧領」3,028石余。元文5年(1740)の家数459・人数1,318。 当地には山代往還が通り、宿場と定められ本陣も置かれていた。山代往還は萩から阿武郡を経て都濃郡に入り、玖珂群を通って岩国に通じる街道である。 また、鹿野上村に鹿野市が置かれたのは、貞亨元年(1684)ある。天和3年(1683)の町割りの図を見ると、家数72軒で東側37軒で間口281間、西側35軒で間口291間と、当時の鹿野市の規模について記している。「注進案」には鹿野市の家数120軒とあり、代官所・高札場・宿駅が置かれていた。鹿野市は時代と共に変遷を重ね、最後は都濃肥牛の市日へと姿を変えていった。 訪ねた日には、偶々大雪が降り、町並探訪も寒さと、足元のぬかるみに難渋し、印象の深い探訪になった。宿場と言っても参勤交代の大名が通るわけでもなく、人足2名と馬2頭が常備されていた程度の宿場でったので、その名残が今に残っている町並でない。只、雪のため赤瓦か黒い瓦かが判らず、また、乗っている自動車もノーマルタイヤだったので、早くこの地を脱出したいとの思いから、不十分な町並探訪だったのは残念です。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 1988 山口県の地名 平凡社 下中邦彦 昭和54年 |
鹿野上の町並 |
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