周南市戸田は山口県中央南部、夜市川中流域に位置する。 戸田村の江戸はじめは萩藩領、元和3年(1617)からは萩藩領と徳山藩領が入り混じり、萩藩領は都濃宰判に属す。 村高は慶長15年(1610)地検帳に2,196石余、寛永2年(1625)検地帳に2,638石余。「天保郷帳」3,296石余、で徳山藩領分を含むと思われる。「旧高旧領」3,577石余、うち849石余は徳山藩領分。「注進案」2,728石余。 萩藩領の元文5年(1740)の家数155・人数830。「注進案」によると萩藩領の家数337・人数1,564とあり、他に堅田家の家来73人・足軽3人・中間43人がいた。 村内を山陽道が通じていて、その中心が戸田市であった。戸田市の長さは東西に3町30間。「注進案」によると戸田市の家数64、うち11軒が瓦葺、53軒が茅葺。萩藩領27軒・徳山藩領37軒と支配関係は入り混じっていた。 今、旧宿場町を歩くと古い伝統的な様式の家屋が旧山陽道に沿って点在する。町並と言えるほどの連続性はないが、宿場町だった名残は残っている。平入・妻入りと統一性はないが、それなりに落ち着いた町並。赤瓦の少ない町並だなあとの印象が残る町並だった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 1988年 山口県の地名 平凡社 下中邦彦 昭和54年 |
戸田の町並 |
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