総領町稲草は庄原市街から南東約8km、旧出雲街道(現国道432号線)から少し三良坂方面に進んだところに位置している。江戸時代を通じて広島藩領、家老三原浅野氏給知。 「芸藩通志」では家数287・人数1,298とある。寛政4年(1792)の三原御分指出帳によると、家数は639(小屋も含む)・人数1,088とあり、出雲路沿いで「下市・上市両市とも商ひ仕候へとも少々耕作不仕家ハ御座無く……この両市酒・小間物・油かせき・紺屋・豆腐・塩干鰯の類あきない仕候」とある。 福山と出雲を結ぶ出雲路沿いに位置し、その宿駅でもあった稲草村には、下市・上市という集落があり、附近の中心をなしていた。田総川に沿って上流にあるのが上市で、西から来た出雲路が北に向かう辺りで、今回訪ねたのはその西側にある下市辺りです。 この市は月3回立ち、陰陽連絡の宿場町であり、出雲産の木綿がこの市を通じて福山から大坂へ、中国山地の砂鉄・米・銀などもこの道を通った。 今回訪ねた下市辺りも古い形式の家並みが連なっている。三良坂に向かう街道沿いの両側にびっしりと連なった町並みが展開していた。軒の揃った2階建ての家屋の連なりは、街道集落らしく見事な光景を展開している。江戸時代の建物と思える建物もあるが、大多数は明治に入ってからのもので、第2次太平洋戦争直前までの建物が多いと思える町並みだ。 広島県の地名 平凡社 下中邦彦 1982年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和62年 |
総領町稲草の町並 |
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