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西城町西城は庄原市街から北東に約10kmのところに位置し、出雲路・備中伯耆路が通る要地で、「東城・西城はくろがねところ」と歌われた製鉄の町であった。 江戸時代を通じて広島藩領で、古くは入江村のうちであったが、寛文10年(1670)頃に町場が西城町になった。 江戸時代には西城川源流域をはじめ近郷で鉄山業が繁栄したので、西城川東岸の大佐村には鍛冶の町として五日市が発達し、西岸の西城町は鉄の集散地として発展し、西城川を挟む両岸の市街化が進んだ。 平成5年の庄原市への合併までは西城町域で56ヶ所もの鈩・鍛冶の跡が見つかっており、旧東城町に次ぎ県内第2位であり、砂鉄・鈩・木炭・大鍛冶・の各分野で生産・輸送に多数の人々が従事していた。 浅野氏入封以来、代官所が置かれて政治上の要地でもあって、奴可郡の産鉄の管理監督するための西城町御鉄会所が置かれ、鉄山業の中心地ともなっていた。 文政期(1818〜30)には家数211・建物数548・人数773・酒屋4であった。 出雲路・備中伯耆路・備中新見路・東城路・西城路などが通り宿駅も設けられ、その他に文政7年(1824)以来、春秋5日づつ牛馬市が立ち、西城市として名高く、昭和期まで続いていた。 今、古い町並みはどうか。江戸時代を思わせる伝統的な様式の家屋も残っているが、殆どは大正から昭和戦前に建てられた建物だろうと思われる。切妻造り平入り、中2階建て・2階建ての町家が連なる。古い町並みと云うのにはチョット抵抗を感じるような町並みであったが、現代的な建物が少ないので、まあ古い町並みでしょうと記載した次第。 広島県の地名 平凡社 下中邦彦 1982年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和62年 |
西城町西城の町並 |
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