庄原市東城町小奴可の町並み 
東城町小奴可
地図


東城町小奴可の町並み
  庄原市東城町小奴可は広島県北東端に位置し、高梁川水系の東城川(成羽川)の上流域で小さな盆地状の平地にある集落である。元来、砂鉄採取のための鉄穴流しによって開かれた村と考えられている。
江戸時代は広島藩領で村高は「芸藩通志」では「818石余、家数194・人数656とあり、村に小市あり、居民農余炭を焼き、薪を伐る」とあるので、この時期にはまだ鉄穴流しが活発でなかったようだが、寛文期(1661〜73)には砂鉄採取と開田が進められ村が大きくなったため、寛文4年(1664)には小奴可村から三坂村が分村している。鉄穴数は安永9年(1773)54、弘化3年(1846)49、嘉永年間(1848〜54)47で郡内最多であった。
東城川下流の高梁川流域農民の鉄穴流し反対訴訟は、天保11年(1840)から6年間に及んだ。鉄穴流し製鉄は紆余曲折を繰り返しながら明治に入って益々盛んになっていった。
明治16年の鉄穴数は126を数え、採掘のための東城川上流域から毎年15万立方メートルの土砂が流出し、流域の村々は近世以来被害を受け続け、下流の岡山県からは明治29年・30年に県境変更法律案が帝国議会へ提出された程の被害を与えていた。
農閑期にはもっぱら鉄穴流しへの出夫、たたら炉用の大炭焼、大鍛冶屋用の小炭焼、また馬背による運送などで収入を得ていた。
古い町並みは旧東城路に沿って展開している。国道は旧東城路を拡張することなく、東側にバイパスとして開通し国道314号線となったので、古い町並みはそのまま残った。
赤瓦と黒い瓦の入り混じった町並み、妻入りと平入りの建物が混在する町並みは、変化に富んで見ごたえある景観を形成していた。今ではお店も極一部であるが、少し前までは商店が並んでいたであろうことは、建物を見れば想像がつく。
山間のこんな小さな集落も、かっては町の中心だったのだと思いながらの探索だった。
町並み指数 40
参考文献     
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  1989年
  広島県の地名  平凡社  下中邦彦  1982年

東城町小奴可の町並み

東城町小奴可の町並み

東城町小奴可の町並み

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