下関市吉田の町並
吉田
地図


吉田の町並

 下関市吉田は山口県西部、下関市 の北東部に位置し、西部を木屋川が南流する。江戸期には旧山陽道の宿場町として栄えていた。
吉田村は江戸期を通じて萩藩領。村高は慶長5年(1600)検地帳に1,980石余、同15年(1610)検地帳に3,586石余、寛永2年(1625)検地帳に3,583石余、「地下上申」には5,193石余、「天保郷帳」に4,697石余、「注進案」に5,594石余、「旧高旧領」に吉田村2,318石余及び吉田村地方3,286石余とある。家数・人数は「地下上申」に家数422・人数1,637、「注進案」に家数480・人数1,953とある。
村内を山陽道と美祢郡内を通る萩街道が貫通。尾張の商人菱屋平七が享和2年(1802)九州旅行の際記した「筑紫紀行」に「此所に萩かい道と上方かい道との追分あり」とあり、その追分の所に道標が残っている。「注進案」には江戸萩府への通路の本駅には絶えず人通りあれば、商事を営む者多く、或いは農商相半する者も鮮しとせず」とあり、交通・交易の要地であった。
また、宿駅で人足58人、馬15疋が常備されていた。「大公儀御役人様九州大名様御通路之節御休泊」の御茶屋も置かれ、吉田宰判の勘場も置かれていた。
今、旧山陽道筋を歩くと、宿場町、街道筋であったであろう名残が残っている。街道に面して建つ家々はその歴然たる名残だろう。かっては虫籠窓であっただろうが、今ではガラス窓になっているが漆喰塗り込めの窓はその代表的な要素と思う。広い間口をもつ商家建物も多くかっての繁栄を色濃く残した町並みであった。
町並指数 30
参考文献
  角川日本地名大辞典   角川書店   角川日本地名大辞典編纂委員会  1988年
  山口県の地名   平凡社   下中邦彦   昭和55年

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