宇津戸は中世には備後国鋳師大工職の丹下氏が居住し、備後国内の独占鋳造権を持っていた。また宇津戸は石州街道(石見路・出雲街道)が通る交通の要衝であった。 江戸時代は広島藩領で農業を主とした集落であった。文政2年(1819)の家数275・人数1,057とあり、中世から続く寺院の梵鐘も丹下氏・坂下氏によって多く製作されていた。寛文7年(1667)丹下甚右衛門が鋳造した今高野山梵鐘などが残っている。その他、鍋・釜・すき先等が造られていた。 石州街道が通っていたため、観音寺下には道標も残っている。「左甲山・石州はまた道、右上下・庄原・みよし・西城・雲州近道」とある。 古い町並みは旧石州街道に沿って展開している。平入り切り妻造りで漆喰塗込め虫籠窓をもつ商家の建物も残っている。最近まで繁栄していた証に宇津戸郵便局との表示が見える建物も残っていた。 広島県の地名 平凡社 下中邦彦 1982年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和62年 |
宇津戸の町並 |
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