大田市大代町大家の町並 
大代町大家
地図


大代町大家の町並
 大田市大代町大家は.島根県中央部、大田市の南西端、大田市街から南西に約20km程の所に位置する。
江戸期を通じて幕府領大森代官所支配地、大家組に属していた。慶長5年(1600)の関ヶ原の戦い直後に、徳川家康は石見国に三ヶ条の禁制を発しているが、その禁制に表示された七ヶ村の筆頭にこの大家村があげられていて、石見銀山確保上の要地と認識されていた。
当時の山陰道は今の海岸沿いの国道9号線と異なり、大田から大森を通り大家・井田を経て江津に向かっての内陸部を通っていたので、大家の重要性は多大であった。
本郷には古くから町場が形成され、宿場的な要素もあったのだろう。
元禄10年(1697)の石見銀山領村々覚によると」、家数は本家142・門屋180・人数1,212。享保5年(1720)の村明細帳では家数304(高持百姓186・借家無高118)・人数1,101とある。
当村庄屋は石見銀山領大家組の惣代を勤めていた。村の中心をなす本郷地区には。上市・下市・四日市などの地名が残っている。江戸後期には牛馬市も開かれていて当村の牛馬市は郡内屈指のものとされていた。
「郡村誌」によると家数326・人数1,274・牛122。民業は工業21・商業26などでそれ以外は農業。物産として米以外は木の実・楮がある。
今、この大代町大家を訪ねると、意外な程の平坦地に小さな商店街もある小さな集落が出現する。赤瓦で構成された町並み。中には大型の家屋も見られる。江戸初期から明治期を通じて常に1200人以上の人々がいて、小さな在郷町・宿場町を構成していた名残が色濃く残る町並みだった。
町並み指数 40
参考文献    
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和54年
  島根県の地名  平凡社  (有)平凡社地方資料センター  1995年

大代町大家の町並

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大代町大家の町並み
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