大田市仁摩町馬路の町並 
仁摩町馬路
地図


仁摩町馬路の町並
 仁摩町馬路は島根県中央部、日本海に面して位置し、馬路浦を有し山陰道が通っていた。
石見銀山が本格的に開発された大永6年(1526)頃から、採掘された銀鉱石はこの馬路や宅野から博多に積出されていた。
江戸期を通じて幕府領大森代官所支配地であった。この地域の主産業は農林漁業である。沿岸砂丘地帯はイワシ網を主とした沿岸漁業が早くから行われ、人口吸引を強めて漁業集落を形成していた。
天保13年(1842)には廻船14・漁船65もあり、江戸後期には漁業の盛行、廻船業の発達などにより人口増が見られた。
元禄10年(1697)石見銀山領村々覚によると家数は本家68・門屋28・人数369。文政2年(1819)の家数251・人数1,432とあり、大きな人口増が見られる。この地も宅野同様左官の出稼ぎの多い地区であった。
町並みは海岸線に沿って延びる細い一本道の両側に展開している。冬の季節風の強い日本海の傍に位置しているので、家屋の外壁は全て板囲いの光景が続く。
家屋形態は平入り切り妻造りの家が多いが、中には入母屋であったり、寄せ棟であったりする。瓦も赤褐色と黒い瓦屋根が入り混じる。宅野は在郷町的商業地としての顔を持っていたが、この馬路集落は漁業集落そのものであった。
なお、この道路に沿って展開する家並みの裏側の日本海海岸は鳴き砂で有名な琴が浜であり、少し歩いてみたが、キュキュと音がすると説明にあったが、普通の砂の中を歩いている音しかしなかった。年齢に伴って高音が聞こえなくなっているためかも知れない。
町並み指数 30
参考文献    
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  1988

仁摩町馬路の町並

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