大田市久手町波根西(久手地区)の町並 
久手町波根西(久手地区)
地図


久手町波根西(久手地区)の町並
 大田市久手町波根西の久手地区は、大田市街より北約5km程の所に位置する。
波根西村は江戸時代、幕府領大森代官所支配地。枝郷に久手と柳瀬があった。
元々は入江になっていたが、砂丘によって入口が塞がれ波根湖になり、湖水は柳瀬湾に注いでいた。しかしこの湖水の排水が悪く、総周り一里三町の一面の泥海であった。漁獲物として鯉・鮒・公魚・鰻等があり、魚取役として銀60匁も課せられていた。山陰道が湖南を通っていた。
鎌倉期に有馬家茂によって切割が完成し、排水口となって湖岸に水田が広がった。次いで江戸期干拓による新田開発が進み、更に昭和21年から大規模な干拓工事が行われ、湖面が消滅し、耕作地が新しく造られた。
久手・柳瀬の集落はこの波根湖と海岸の間の狭い部分に形成されていた。共に漁港・商港として栄え、久手には廻船問屋竹下屋は特に繁栄していた。
波根西村は元禄10年(1697)の石見銀山領村々覚えによると、家数は本家61・門屋109・人数783。門屋の大多数は漁業従事者のようである。寛政元年(1789)の私領御巡見様御案内帳では家数366・人数1,319・牛38・馬5とあり、文政2年(1819)の家数人別牛馬調では家数424・人数2,061・牛74・馬5とある。郡村誌によると、家数654(うち漁業192・商業6・木挽49・鍛冶11など)・人数3,004。20石未満荷船15・漁船173とある。
今、町並みを歩くと、狭い路地道に密集した集落じゃなく、平坦な土地に比較的ゆったりと建てられた集落である。つい最近までは漁業集落であっただろうが、漁村らしからぬ集落形態であった。
町並み指数 30
参考文献    
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和54年
  島根県の地名  平凡社  (有)平凡社地方資料センター  1995年

久手町波根西(久手地区)の町並

久手町波根西(久手地区)の町並

久手町波根西(久手地区)の町並

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