大田市五十猛町は島根県中部大田市街の西方7〜8kmの所の日本海に臨む大浦港のある半農半漁の村である。 江戸期を通じて幕府領大森代官所支配地。五十猛村は明治22年までは磯竹村と記されていた。大浦港の江戸時代には幕府領年貢米の蔵宿が置かれ、江戸・大坂廻米を積出す湊町として栄えていた。廻船問屋の土肥屋・大黒屋など8軒の蔵宿であった。江戸初期には石見銀山の銀の積出港でもあった。 元禄10年(1697)の石見銀山領村々覚では、家数は本家117・門屋88・人数851とあり、沿岸漁業も行われていたことが判る。 江戸時代から明治期、商港として栄えていた大浦港も、大正年間になり大阪商船の石見航路廃止や、山陰本線の開通により、商港から漁港へと転換を余儀なくされ、現在では大田市最大の漁港として発展している。 今、集落内を歩くと、港町よりも漁村としての様相を示している。細い路地道のような道路の両側に家屋が軒を付き合わせて密集して建ち並ぶ。所々に大型の屋敷や家屋が見られるので、それらが港町当時の廻船問屋や商家の建物だろう。 大型の家屋や小型の家屋が細い道の両側に混在して建ち並ぶ光景は、港町・漁師町そのものと思って探索を終えた。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和54年 島根県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1995年 |
五十猛町の町並 |
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五十猛町の町並 |
五十猛町の町並 |
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五十猛町の町並 |
五十猛町の町並み |
五十猛町の町並 |
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