大田市波根町は島根県中央部、大田市街の北東5〜6km、波根川河口に位置する。 江戸時代は幕府領大森代官所支配地、久利組に属していた。江戸時代には波根東村と云った。 波根浦は中世から栄え、江戸時代には商港として重視されていた。古代山陰道の出雲国から石見国に入った第一番目の波禰駅が当地に置かれていたとする説がある。 元禄10年(1697)の石見銀山領村々覚によると、田方506石余・畑方124石余、年貢高は米342石余・銀990匁。小物成として塩浜役7匁5分・塩籠役6匁・釣舟役4匁などが課されていて漁業も盛んだったようだ。家数は本家101・門屋135・人数1,020。 寛政元年(1789)の私領御巡見様御案内帳では家数・人数は、延宝6年(1678)には126・618。享保12年(1727)には240・971となり、元禄期から享保初期にかけて急増している。この頃から沿岸漁業の盛行が山間部農村から沿岸漁村地帯へと人口が移動したのが判る。 文政2年(1819)の家数人別牛馬調では、家数343・人数1,769・牛104・馬6とある。 「郡村誌」では家数508(うち漁業127・商業48・大工34・木挽20など)・人数2,248・牛78・馬35で、漁船98とある。 町並みを歩くと、港町・漁業集落の様相を見せていて、大型で重厚な家屋も多く目にする。 かって商港として繁栄していた当時の商家の建物や網元の建物だろう。この波根町も漁業集落だが、一般的な漁業集落のように狭い道の両側に軒を接して密集して建つことなく、比較的ゆったりと余裕を持って建っているようだ。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和54年 島根県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1995年 |
波根町の町並 |
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