邑南町阿須那の町並 
阿須那
地図


阿須那の町並
 邑南町阿須那は島根県中部、邑南町の最南端、江の川の支流出羽川中流部の北岸の僅かな平地に位置する。
慶長5年(1600)の関ヶ原の戦い後、阿須那など当地一帯は幕府領(石見銀山領)となり、元和5年(1619)から浜田藩領。天保7年(1836)から同13年(1842)の間は石見銀山領となるが、その後再び浜田藩領で幕末を向かえる。
江戸期は砂鉄採取の鉄穴流しとたたら製鉄によって経済が保たれ、特筆する物産が出ていない。
只、古代から続く牛馬市は江戸期に最も隆盛を極め、伯耆大山・豊後生石浜(大分市)とともに日本三大市場とも称された。
この牛馬市が発展して、元禄期(1688〜1704)頃から阿須那市見世となって発展した。見世の種類は呉服見世・古手帷子見世・木綿小間物見世・酒屋見世・菜種見世・砂糖見世・地黄丸見世・魚見世・鰹節見世・鮭見世・大工道具見世・米見世・大小豆見世・辻見世等などがあった。
これらの見世も、江戸中期から備後三次の十日市や出羽市が開かれるに及んで衰微した。
近世において盛んであった砂鉄製鉄も明治中期に終り、それに代わって広大な山林を利用した木炭生産が現金収入となり経済を支えた。
邑智郡誌によると家数176・人数935・牛178。職業は農161・商6・大工3・鍛冶2・木挽2など、女については、農間に木綿等を製するも皆自家用で販売は皆無とある。
今、古い町並みは旧街道筋に色濃く残っている。赤瓦で殆どは二階建て、切り妻造り平入りの家屋が軒を連ねて旧街道筋に並んでいる。殆どが明治期から大正期・昭和初期に建てられたものと思われる。旅館だったであろう建物、商いをしていただろう建物。現役の造り酒屋さんまであって、なかなか見応えある町並みを展開していた。
町並み指数 40
参考文献    
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和54年
  島根県の地名  平凡社  (有)平凡社地方資料センター  1995年

阿須那の町並

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