尾道市東土堂町の町並 
東土堂町
地図


東土堂町の町並
 尾道市は瀬戸内海の中央部、広島県の南東部、尾道水道に面して位置する備後地方の商業の中心であり、東西に山陽道(現尾道本通り)が通る宿場町・港町であった。
江戸期の尾道町は尾道浦村とも称した。江戸初期には町場化した当地に対して後背地を尾道村と称したが、寛永6年(1629)に後地村と改称した。
尾道町の江戸期は広島藩領、毛利氏時代から久保町・十四日町・土堂町の三町からなり、福島氏・浅野氏も踏襲した。村高は元和5年(1619)「知行帳」では「おの道村浦」と見え348石余、寛永15年(1638)地詰345石余、」「芸藩通志」342石余、「天保郷帳」348石余、「旧高旧領」356石余。寛政年間(1789〜1801)の人数調査によると、総人数3,558。「芸通通志」によると広さ東西10町余・南北5町余、家数2,926・人数9,488、牛2・馬10、舟235とある。
尾道町は広島藩の東端の宿駅とされ、十四日町に本陣・問屋場があった。石見路を経由して大森銀山の銀が当町まで運ばれ、舟で室津(現兵庫県)迄運ばれた。広島藩は尾道より大坂蔵屋敷へ年貢米や産品を積出た。寛文11年(1671)西廻り航路が開かれ、北前船が寄港し、港町としての本格的に稼働し出すと、海岸の埋め立てが進み、市街地は南に広がった。
北前船は米を中心に干鰯等を持ち込み、塩・畳表・錨・石造物などを積みだした。
今回訪ねたのは現在東土堂と呼ばれる地域で、昭和43年に尾道市土堂町が土堂町1丁目・2丁目・東土堂町・西土堂町等に分割された地域である。
その中の東土堂町はJR山陽本線より山側、即ち千光寺山の山頂から南東側の急傾斜地一帯である。千光寺公園、ロープウエイの山頂駅・山麓駅、展望台、志賀直哉旧居などがある。観光コースになっている「文学のこみち」「古寺めぐりコース」もあり、多くの観光客で賑わっている。
石垣、長い石段、土塀、坂道などで構成された町並に尾道水道の眺望が素晴らしい。案内パンフレットを片手に持った「古寺めぐり」の方々が、多く点在する寺院を求めて、急坂を登ったり下ったりされていた。
町並み指数 30
参考文献
広島県の地名  平凡社  下中邦彦  1982年
角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和62年 

東土堂町の町並

東土堂町の町並

東土堂町の町並

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