奥出雲町三成は島根県東部、斐伊川の上流部三成盆地西部に位置する。 江戸時代中期、下三成村の東部で、対岸の矢谷村との両岸の段丘上に三成町が成立し、川方役所が設けられた。三成町成立後は松江藩領。川船駅と川舟府・運送府が開設され、三成駅場と呼ばれていた。 寛文4年(1664)松江藩は仁多・飯石両郡の物資を松江に輸送するため、斐伊川の水運を利用する工事を行い、出雲郡荘原村(現出雲市斐川町)へ通じる川船を通し、下阿井村の住民16軒を強制的に船着き場辺りに移住させ、川の両岸の矢谷村と下三成村に跨る町場が形成されたのが三成町である。島根藩の御蔵が置かれていた。 貞亨2年(1685)洪水のため通行できなくなり、5ヶ年かけて改修し元禄3年(1690)再開、以来30年間川船輸送が続けられ、年貢米の輸送が行われた。しかし再度の大洪水のため川が埋まり遂に川船輸送を断念、享保8年(1723)からは年貢米は全て佐白村を経る駄送となった。天保14年(1843)川舟復活のため河川改修に着手したが成功せず、川舟は廃止となる。しかし、三成の町は駅場としての形を整備し、三成町発展の基礎をつくることとなった。 明治22年の家数42・人数238とある。 今、三成は奥出雲町の政治・経済・文化の中心地で町役場が置かれている。町並は旧東城街道(東城ー宍道)に沿って展開している。明治・大正・昭和の建物が混在するも、昭和の建物が一番多いようで、特別古い建物は見当たらない。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和54年 島根県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1995年 |
三成の町並 |
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