今回訪ねたのは、島根県の東南部奥出雲町の西南部の阿井川の河岸段丘西側に位置し、江戸時代には上阿井村の中でも、上阿井町と云われる町場化した地域。 阿井村の中央部を阿井川が北流し、南に王貫峠を経て備後へと繋がる。江戸時代にはこの王貫峠の北山麓に松江藩の番所が置かれていた。集落はこの阿井川とその支流の河岸段丘上にあり、中央部で西に向かい宇月峠を経て吉田村に至る道の分岐点辺りに町並みが発達して、上阿井町が成立したものである。 慶安2年(1649)の上阿井町地銭帳によると、御役目屋敷が20軒あり、目代が置かれていた。「郡村誌」では上阿井村・上阿井町合わせて家数358・人数1,720とあり、薪炭業50・商業30とある。薪炭業の多くはたたら製鉄用の炭を扱っていた。 阿井川上流の上阿井内谷に桜井家がある。郡内の絲原家・卜蔵家・吉田村の田部家と共に、奥出雲で4鉄師として隆盛を誇っていた家で、大正12年に製鉄業を廃業後も水田地主・山林地主として存続。たたら用の大炭を家庭用の炭に切り替え昭和30年代の燃料革命まで木炭王国島根を築いていた。 今町並みは旧出雲備後道に沿って展開している。往時は商業地として栄えていた家並みが残っているが、今は殆ど仕舞た屋で商いを辞めておられるが家はそのまま残っている。 中国地方と云っても豪雪地帯のため、トタン屋根の家が多く、瓦葺きの家は少ない。平屋建て・中2階建て・2階建てとバラエティに富み、切妻造りが殆どだった。 過疎集落の典型みたいな集落でしょうね。話を聞くと年寄りしか暮らしていないとの返事が返ってきた。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和54年 島根県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1995年 |
上阿井の町並 |
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