奥出雲町亀嵩(かめだけ)は斐伊川の支流亀嵩川沿いの、松江や米子と奥出雲や備後国を繋ぐ道筋に位置している。玉峰山(820.3m)の西麓に天正2年(1574)亀嵩城が三沢為清によって築かれ、その城下町として発展した。 正徳3年(1713)の指出帳によると、亀嵩には17軒があり目代が置かれている。2町程の町並みで、毎年12月27日に市が立てられ小さいが在郷町であったようだ。 当地の産業に算盤がある。雲州算盤とよばれ全国に知られていた。 当町の大工で村上吉五郎が芸州広島の塩屋小八作の算盤に魅せられて、天保3年(1832)これに優るとも劣らない算盤を造り、改良を重ねて、量産にも成功し雲州算盤の名が全国に知れ渡った。 古い町並みは旧街道筋の両側に展開している。国道432号線は旧街道筋の東側をバイパスとして通ったので、町並みは昔のまま保存された状態で残っている。町並みを構成する家々は切妻造りで平入りの家屋で2階建てが多く、赤褐色の瓦葺きと黒瓦葺きが半々程度と思えるが、雪国のことゆえ、トタン葺きの家屋も散見出来た。 特別古いと云う形式の家屋も見られなかったが、伝統的な様式の建物が連続していて見事な町並みを形成していた。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和54年 島根県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1995年 |
亀嵩の町並 |
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