隠岐の島町は島根半島の北方海上約50kmにある隠岐諸島で一番大きな島後を領域とする町で、都万は隠岐諸島島後の南西部の都万川下流に位置する。 江戸期は幕府領松江藩預かり地、貞亨4年(1687)〜享保5年(1720)は幕府領大森代官所支配地。 貞亨5年(1688)「隠州記」では村高680石余、家数196・人数1,141、牛270・馬252、大船1・手安船20。田畑を耕し、薪を切り、ブリ・イカ・ワカメ・ノリ・サバ・アワビなどをとり、漁の合間に塩焼きを家業としていたと記されている。明治元年の隠岐国村鑑帳では家数243・人数1,284、牛233・馬230とある。 都万を訪ねたのは、都万の船小屋を見るためである。船小屋は木造の平屋建てで、屋根は切妻造りの杉皮葺きで、割竹で杉皮を押えて玉石を乗せている。海岸線に沿って約20棟の船小屋が連なる光景は、有名な京都伊根の船小屋とも異なり、見栄えがする漁村風景である。 かっての船小屋は昭和のはじめ頃に建てたれ、その後何度か手直しされたため、形にバラツキがあったが、それがかえって独特の風情を醸し出していた。 現在の船小屋は昭和62年に、当初の船小屋が海岸線に農道建設のため、立ち退きを迫られたため、海側に約5mずらして再現されたものである。船小屋は現在も使われているそうだが、 使われていない小屋も散見できる。船小屋の背後に集落があり、その方々の船小屋だろう。 この船小屋の隣に、屋那の松原があり、チョットした公園として整備されていた。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和54年 島根県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1995年 |
都万の舟屋群 |
、」 都万の舟屋 |
都万の舟屋群 |
都万の舟屋群 |
都万の舟屋群 |
都万の町並 |
都万の町並 |
屋那の松原 |