隠岐の島町布施の町並 
布施
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布施の町並

 隠岐の島町は島根半島の北方海上約50kmにある隠岐諸島で一番大きな島後を領域とする町で、布施は隠岐諸島島後の北東部の春日川下流に位置する。
江戸期は幕府領松江藩預かり地、貞亨4年(1687)〜享保5年(1720)は幕府領大森代官所支配地。
貞亨5年(1688)「隠州記」では村高39石余、家数58・人数332、牛43・馬50、大船5・手安船15。「松・トドマツ・雑木・薪・材木切だし商売に仕り」ほかに飛魚・イカ・アワビ・サザエ・ワカメ・ノリ等とあり、木材や漁業資源に恵まれていたことが伺える。
稲作に適さない自然条件であったので、江戸時代中期頃から植林が盛んになり、化政期には木材・板の販売のため廻船業が盛んになり、上方・長崎・若狭などの遠隔地の市場に木材のほか水産加工品を販売した。当地の廻船業者では熊屋・佐原屋がおり、出羽能代や東北・蝦夷松前まで取引を広げていて、安永(1772〜81)頃からは人口植栽林の売れ行きが良くなり、その海運業に近隣の若者が布施に集まったという。
明治元年「隠岐国村鑑帳」では家数70・人数435、牛50・馬2で、荷船は9艘とある。
「皇国地誌」には家数111・人数433、牛52・馬1、500石〜200石積荷船3・200石以下荷船16・漁船73とある。
そこそこ大きな集落と思って訪ねたが、鄙びた寒村の光景であった。でも街道筋に面しては商いをされていたであろうと思われる建物が連なっていた。隠岐の島町の何処に行っても、赤瓦と黒い瓦の屋根が入り混じった光景が見られる。
町並み指数 30
参考文献     
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和54年
  島根県の地名  平凡社  (有)平凡社地方資料センター  1995年
  

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