西の島町別府は隠岐諸島の西の島町の東部に位置し、別府湾に臨む。島前三島に囲まれた内海で、天然の良港である。 別府の江戸期は幕府領松江藩預かり地。貞亨4年(1687)〜享保5年(1720)は幕府領大森代官所支配地。 貞亨5年(1688)「増補隠州記」では村高111石余、家数31・人数191、牛97・馬43、大船2・手安船2・トモド船13。漁はタイ・イルカ・サバ・アワビ・ワカメ・ノリなどを採取。 元禄9年(1696)の船宿定帳では、当時既に船宿が置かれていたことが判る。 島前代官所が置かれ、幕府納入の長崎俵物の集荷は別府の庄屋(酒屋伴左衛門)で行われた。文化7年(1836)には伝右衛門船が煎りナマコ・干アワビを長崎俵物役所に津出ししている。 帆船交通の時代には北前船の寄港地として繁栄を誇り、幕末には海防基地として大筒場が設置された。 明治元年の隠岐国村鑑帳では家数36・人数287、牛14・馬2とある。「皇国地誌」では家数72・人数310、牛23・馬5。職業は漁業が主で漁船が45艘を所有していた。 今、別府港前の広い道より山側に一筋入った所の道筋に集落が展開している。造り酒屋も健在な集落で、赤褐色瓦・赤瓦・黒瓦の入り混じった集落風景であった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和54年 島根県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1995年 |
道 別府にある造り酒屋 |
造り酒屋の主屋 |
別府の町並 |
別府の町並 |
別府の町並 |
別府の町並 |
別府の町並 |
別府の町並 |