長門市通の町並み 

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通の町並み
 長門市通(かよい)は深川湾の東に位置する青海島の東部で、島の中央部の最狭部より東側を言う。
江戸時代は萩藩領で、「防長地下上申」で元文5年(1740)家数403・人数1,557とある。「防長風土注進案」では天保13年(1842)の家数248・人数1,054と減少している。この「防長風土注進案」では農民37・漁民160・職人11・商人40で、船数190艘のうち鯨漁に関する網船・鯨船・惣海船など計34・漁船154・廻船2であった。商人は萩その他へ魚の行商をしたり、干鰯を上方に積荷したりして生活し、職人は船大工5・大工2・左官1・桶屋2などであった。
仙崎捕鯨組同様、通捕鯨組は延宝元年(1673)の創始で、仙崎捕鯨組とともに藩の保護もあり繁栄していた。
弘化3年(1846)は通浦で鯨が一番獲れた年で、弘化3年11月29日には鯨5頭も獲れ、半年で24頭捕獲されている。当時の鯨一頭は今の金銭では3500万円程度の価値があったようです。
ペリーが日本に来て開国を迫ったのも、日本近海の鯨を獲り鯨油を得るためでしたが、表向きは薪炭補給・食糧補給・海難救助等の理由を付けていました。当時日本は古式な捕鯨でしたが西洋各国は鯨銃を使って徹底的に鯨を乱獲したのです。
さて今、集落内を歩くと漁師町そのもので、細い路地道に犇めきあって家が建っている。
中には広い間口を構えた商家風の家屋も見られるのは、かっての網元の家だろう。
この通集落は海岸沿いの集落だが、内海側にあるためか、板貼りの家屋に混じって漆喰塗の家屋が多数見かけられる。千本格子や虫籠窓を残した家も見られ、漁師町でありながら商家建物も見られる町並みであった。
町並み指数 40
参考文献    
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  1988

通の町並み

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