長門市仙崎の町並み 
仙崎
地図


仙崎の町並み
 長門市仙崎は萩市街から西約15〜6kmのところの、東は仙崎湾、西は深川湾に突き出した半島の海岸集落で、北には1km余り海を隔てて青海島がある。江戸時代は萩藩領で瀬戸崎浦と呼ばれていた。瀬戸崎浦は日本海沿岸航路の船舶出入り港として早くより栄た地で、慶長15年(1610)の検地帳でも瀬戸崎として記され、百姓屋敷30と少ない代わりに浦屋敷182とあり、漁業集落であったようだ。
「防長風土注進案」によると天保13年(1842)の家数502・人数2,091とあり、この家数のうち農民55・職人25・商人306・漁民118であり、商人によって半分以上が占められ、漁人も多かったことが知れる。只、商人と云っても在郷町として大きく発展していないので、獲れた魚の行商や萩の浜崎まで運んでいたのだろう。そのため海岸部は市町として発達し、南町・南本町・本町・加賀屋町・北本町・洲崎町・今浦町・鍛冶町・中新町・新町・幸町・新屋敷などがあった。
船数は全部で142艘、うち廻船が13艘・漁船117艘・鯨船12艘(防長風土注進案)。
漁業では捕鯨が優位な立場にあったようだ。捕鯨業は寛文12年(1672)に網捕り捕鯨が創業され、藩の保護のもと鯨組と称する浦全体の組織によって大規模に行われた。江戸期は近海捕鯨だったが、その後朝鮮近海の遠洋捕鯨に移行し、明治32年に砲殺捕鯨方が仙崎を基地として始まり、明治36年には101頭の鯨を捕獲している。
大正6年の職業別家数は農業326・工業176・商業513・漁業548(全て兼業を含む)とあり、このときでも商業と漁業の盛んな土地であったようだ。漁船数472であった。
現在町には蒲鉾製造工場が多くあり、漁業も養殖漁業が盛んである。
町並みを歩くと、赤褐色の瓦は殆どなく黒い瓦で葺かれた家屋である。町並みの特徴は白漆喰塗込めの妻入りの商家の建物が眼に付くことである。建物は切り妻形式だが、軒先を通りに出した一見入母屋の様な建物だ。
白漆喰塗込めで虫籠窓を持つ切り妻造り平入りの建物も多く見られる。それら白漆喰塗込めの建物は比較的大型の家屋で、江戸から明治にかけて問屋商人の家だったのだろう。
ここでも広い通りから路地に入ると、漁師町特有の細い通路に家屋が犇めきあっている光景がみられ、漁師町だなあと実感できる。
そして町のあちこちに童謡詩人金子みすずの故郷として、観光客向けの表示があった。
町並み指数 40
参考文献    
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  1988
  山口県の地名  平凡社  下中邦彦  昭和55年

仙崎の町並み

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