長門市三隅村は三隅川を中心に三隅平野を形成し、北は仙崎湾に面している。 江戸期を通じて萩藩領であった。江戸中期に三隅上・三隅中・三隅下の3村に分村したと思われるが、幕末まで三隅村の名は残り、大庄屋もいたところを見ると連合村として、統轄されていたようだ。 三隅中は三隅川中流域に位置し、川に沿って平野が展開する。城下町萩と赤間を結ぶ赤間関街道(北浦街道)が通り宿駅が置かれていた。「防長地下上申」によると、家数313・人数1,168とある。三隅中村の中心は市で、この辺りに商家が集まっていて、宿場が置かれ駅には人足3人・馬3疋の定手当があった。防長風土注進案」では三隅市の家数62のうち大家2・中家2残りは小家とあり、高札場と一里塚もあった。 今回訪ねたのは市地区で、赤間関街道(現国道191号線)が集落を外れて通ったため、古い町並みは比較的よく残っている。赤褐色瓦と黒瓦屋根が混在しているが、黒瓦屋根の方が多いようだ。切妻造り平入りや妻入り、入母屋造りの家屋など、あまり統一制のない家並みだ。そんな中でも比較的平屋建てが多いのは、江戸時代の建築だからだろうか。それにしてもこの町の探索中に殆ど人を見かけなかったように思うほど、ひっそりとした町だった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 1988 山口県の地名 平凡社 下中邦彦 昭和55年 |
三隅中(市地区)の町並み |
三隅中(市地区)の町並み |
三隅中(市地区)の町並み |
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三隅中(市地区)の町並み |
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三隅中の町並み |
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