長門市黄波戸地区の町並み 
日置上
地図


黄波戸(日置上)の町並み
 長門市街から西北西に約5km、深川湾の西岸に黄波戸地区がある。行政上は日置上で、江戸時代は萩藩領であった。
江戸時代初めは日置村(へきむら)といい、慶長15年(1610)の検地帳でも「日置荘」とあり、百姓屋敷330・市屋敷19・浦屋敷58とある大村であった。百姓屋敷は古くから開けた掛淵川流域の小平野の農村地帯で、既に江戸初期でも耕地の殆どが水田化され畑地が少なかった。市屋敷は赤間関街道(北浦街道)沿いの宿駅が置かれた日置市であった。しかし宿駅は寛文年間(1661〜73)に、南奥に入った台ヶ原に移され、その地を新市と称し、日置市は古市と呼ばれたが、寛政5年(1793)再び宿駅は古市に復帰した。そして浦屋敷58は、深川湾に東面した黄波戸集落であった。
黄波戸集落では漁業を生業としていた。享保13年(1728)防長地下上申では家数108・人数483・漁船37とあり、春から夏までは鯖漁、秋から冬までは長縄漁で、その他は鰯漁を行っていた。
防長風土注進案には、黄波戸に人口が集中し、500石積1艘・400石積4艘・90石積1艘の廻船を持つ商港でもあった。
捕鯨については元禄3年(1690)に開始しているが、享保元年(1716)から明治8年までは休業している。近隣の瀬戸崎浦・立石浦・川尻浦等との対立が強かったためだろう。黄波戸に正式に捕鯨鑑札が下りたのは明治13年になってからであるが、その後もいろいろと妨害にあっている。
集落内を赤間関街道(北浦街道)が通っていたが、今は県道66号線となって、集落の海岸沿いを通っている。よって集落内は町並み保存された形になっている。旧街道筋から山手にかけて幾つもの路地道が展開し、板貼りの住宅は勿論であるが、漆喰塗込めの商家風の家屋が多くある。平入り妻入り、赤褐色の瓦と黒瓦が入り混じった町並みだ。
町並み指数 40
参考文献    
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  1988
  山口県の地名  平凡社  下中邦彦  昭和55年

黄波戸(日置上)の町並み

黄波戸(日置上)の町並み

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黄波戸(日置上)の町並み

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