旧油谷町は本州北西端の町として売り出していて、中でも川尻はその川尻岬を持つ集落で、日本海に東面する漁港・漁村である。 江戸中期に向津具村から分村して成立し、萩藩領であった。しかし、「防長地下上申」や「防長風土注進案」では村としての高付けは無く、向津具村の小名として記載されている。 元禄年間(1688〜1704)捕鯨漁が盛んになるにつれ、この浦が北浦(日本海)を回遊する鯨群を向かえるための絶好の場所であった。そのため元禄11年(1698)に鯨組が組織された。 操業は元禄11年(1698)より始め、明治末年まで続いた。鯨1頭獲れば七浦賑わうと言われ、最盛期には28隻の船団が組まれた。当初50戸ばかりの寒漁村も明治初年には240戸余りに達する漁業集落のなった。 捕鯨漁は明治44年まで存続し、大正期以降は大羽刺網・大敷網など沿岸・近海漁業になり、一本釣りや養殖漁業へと発展している。 集落の入口までの道路は完備されているが、集落内に入ると一転して道が細くなり、急坂になったり階段になったりする。時々軽自動車が置かれているが、小さなタイプの軽自動車だった。でもこの自動車何処から這入ってきたのだろうと頭を抱えねばならなかった。 集落は谷あいから山の尾根に向かってへばりつく様に密集して建っている。 道なのか、個人の家への入り口なのかの判別は付き難く、道と思って進んでも個人の家の玄関に!!を繰り返しての探索だった。 ただ、この川尻漁業集落は赤褐色の瓦屋根の家が多かった。赤褐色の瓦と黒い瓦の分布は調べないと判らないが、不思議な分布をしていると思う。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 1988 山口県の地名 平凡社 下中邦彦 昭和55年 |
油谷川尻の町並み |
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