三次市街から南東に約10km、旧石見路に沿って三良坂の町並みがある。 福島正則が元和5年(1619)に徐封された後に浅野長晟が入封し、この地は広島藩領となった。 中世、三良坂の商業の中心は尾道から吉舎を経て、三良坂から東の田総庄(現総領方面)と、北の地び庄(現庄原方面)に向かう道の分岐点の沖江にあった。 しかし、近世初頭から三次へ通じる石見路の交通の発達に伴い、商業の中心は沖江から南の馬洗川流域へと移動し、現在の三良坂の中心地形成となった。文政3年(1820)には141軒の町家が続く町並みで、酒造家が4軒もいた。また毎年4月には10日間の牛馬市が開かれていて、三次・吉舎両宿の間駅としての役割も果たしていた。 石見路の発達と共に三次への水運も発達したようで、文政9年(1826)からこの地の年貢米が瀬戸内の三原蔵納めから水運を使った三次蔵納めになっている。 今、古い町並みはJR三良坂駅近くの旧石見路の両側に展開している。江戸時代に遡る家屋は少数のようだが、大正から昭和戦前に建てれてた家屋が連なっている。中2階建ても混じるが殆どは2階建て平入りの家屋が並ぶ。赤褐色の瓦は少数で大多数は黒い瓦で葺かれていた。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和62年 広島県の地名 平凡社 下中邦彦 1982年 |
三良坂町三良坂の町並 |
三良坂町三良坂の町並 |
三良坂町三良坂の町並 |
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