美郷町粕渕は島根県中央部、四囲を急峻な山で囲まれ、江川中流域で、北流してきた江川が反転して、南に流れを変える所の北岸に位置する。 江戸期は幕府領大森代官所支配地。銀山御囲村の一つで、銀山街道が通っていた。 粕渕村は江川舟運の要衝であるとともに、銀山街道の継立場であった。江川沿いに開けた町場は小原と云われて賑わっていた。 大森の銀は毛利氏時代は、温泉津から海上輸送されていたが、慶長14年〜15年(1610)頃からは、大森ー堂原(大田市)ー別府ー小原(粕渕)ー浜原ー九日市ー酒谷ー赤名(赤来町)を経て尾道(広島県)へ陸路を通って輸送し、海路大坂へと送られた。 この銀の輸送には、大森を未明に出発し、小原(粕渕)の川原で銀を積み替えて昼食をとるのが習わしで、九日市が宿泊場所となっていた。江川の渡船場近くに小原口番所も置かれていた。 元禄10年(1697)の石見銀山領村々覚によると粕渕村の家数は本家100・門屋68・人数715とある。明治12年には粕渕村の内、小原市は家数114・人数470・牛19・馬5とあり、物産は炭であった。粕渕村の林家は幕末に当村の年寄、次いで郡中取締役を勤め、酒造業を営む地主でもあって、多くの林家文章が残り、往時の世相・治安・行政を知る上で貴重な文章とされている。今でも林家は料理旅館として健在で、立派な土塀や多くの土蔵を有している姿は、それだけで古い町並みを形成していた。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和54年 島根県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1995年 |
粕渕の町並(林家) |
粕渕の町並 |
粕渕の町並 |
粕渕の町並 |
粕渕の町並 |
粕渕の町並 |