松江市鹿島町は島根半島の中央部を占め、鹿島町古浦・恵曇(江角)は鹿島町の西部、恵曇湾(えとも)に面し佐陀川の河口に位置する。佐陀川の河口左岸南側が古浦、河口右岸北側が恵曇(えとも)(江角)である。古くから江角と云われてきたが、昭和31年より恵曇(えとも)となる。 江戸期を通じて松江藩領。江戸初期では江角は古浦に含まれていたようだが、正保国絵図には古浦・江角村はそれぞれ独立して記されている。 古浦・江角浦で製塩が始まったのは明徳2年(1391)と伝える。享保年間(1716〜36)には製塩業は砂浜一帯に及んでいた。古浦では天保7年(1836)の御用塩取立人別帳に記された塩師数68人。文化3年(1806)の家数が82軒であるから、住民の八割が塩稼ぎに従事していたことになる。製塩された塩は御用塩として年年割賦を受けて上納していた。 しかし、天明7年(1787)に佐陀川が開通してからは、真水が流れ込み製塩が次第にできなくなっている。 天明7年(1787)の佐陀川の開通によって松江との間を船で航行できるようになり、江角に番所を置いて湊口出入りの船舶を監視した。 天明8年(1788)の宗門郡中人高では人数は古浦421人・江角409人とある。 製塩も行われたいたが、農漁村には変わりなく、港町としても大きく発展しなかった。 いま、古い町並みは、古浦と恵曇の佐陀川河口両岸に展開していて農漁村の様相を示している。 古浦は平坦地で、恵曇では傾斜地に町並みが展開する。板囲いに包まれた家、赤瓦を乗せた家、通路の対して妻を見せた家など、漁村、漁師町の印象が強い町並みを展開していた。江戸期に遡る程の 古い家はないように思う。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和54年 島根県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1995年 |
鹿島町古浦の町並 |
鹿島町古浦の町並 |
鹿島町古浦の町並 |
鹿島町古浦の町並 |
鹿島町古浦の町並 |
鹿島町恵曇の町並み |
鹿島町恵曇の町並み |
鹿島町恵曇の町並み |
鹿島町古浦の町並 |
鹿島町古浦の町並 |