益田は島根県の西の玄関口である。山陰・山陽を結ぶ交通の要衝を占め、中世には城下町、近世には商業地として栄えた所。 この地を400年間に亘って支配してきた益田氏が、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦い後、長門須佐に転封となり、益田氏の城下町の歴史は終わりを告げた。 そこで城下町の復興策として、六斎市(宗味市)が2・7の付く日に開設され、宿駅や奥地山間部と沿岸部の交易の町として発展した。「益田醤油に菅の笠、中須南瓜に吉田茣蓙、高津土産に生の鮎」とは当時の交易品を代弁し、在郷町益田をよく表しているように、特産物は醤油・菅笠・葱冬酒であり、紙問屋・油屋・北前船倉庫などが全長8町にもなって町並みを造っていた。 江戸期を通じて浜田藩領。安永6年(1777)「村明細帳」では家数315・人数1,542とある。 大正12年国鉄山陰線石見益田駅が吉田村に設置されてからは、経済活動の中心だった益田川に沿った本町・幸町辺りから、次第に諸活動の中心が駅周辺の吉田村に移っていき、吉田地区が発展した。 今、古い町並みは益田川の南側、かっての益田城の山裾との間の本町通りで展開している。建て替えられた家、取り壊して歯抜けになった所など、見ごたえある町並とは言えないが、赤褐色と黒瓦の入り混じった平入り切り妻造りの町並みは、古くからの伝統を受け継いでいるのだなあと思うに十分であった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和54年 島根県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1995年 |
幸町の町並 |
幸町の町並 |
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