下関市唐戸町は明治29年からの町名でそれまでは、赤間関と呼ばれていた。 赤間関は古代より交通・海運の要衝として栄えてきた。北前船の寄港地として賑わい、陸上交通では山陽道の起終点となっていた。また朝鮮使節を迎える瀬戸内海航路の玄関としても歴史に名を残している。 寛政4年(1792)の赤間関在番支配下の人口調べでは阿弥陀寺町・外浜町・中之町・赤間町・西之端町・東南部町・西南部町・東細江町・西細江町・豊前田町・裏町・稲荷町の12ヶ町で、家数2262軒・人数8299人であった。 赤間関には御用所・目代所が設けられ、御用所には赤間関在番が長府藩から派遣されて行政を司った。 寛文12年(1672)、河村瑞軒の北前船航路の開発により、北前船の寄港は赤間関に繁栄をもたらし、問屋が400軒余りもあったという。 赤間関は山陽・山陰両道の合流点で、殊に堂崎は山陽道の基点で九州への渡し場もあり、長府藩の津口の番所が置かれ、旅行者の取り調べを行った。 唐戸交差点の一角に旧英国領事館がある。この建物は赤レンガ造りのバロック様式の建物で明治39年に建築され、昭和16年まで英国領事館として使用されていた。 唐戸交差点の南に下関南部町郵便局がある。明治33年に建てられた下関に現存する一番古い西洋建築で、外壁のレンガの厚さが60cmという堅固なもの。下関東郵便局として使用されていたが、今は南部町郵便局となっている。 唐戸交差点近くにある秋田商会ビルは、屋上に突出した塔屋が印象的な建物である。大正3年に海運業を営む秋田商会が事務所兼住居として建築したもの。 旧英国領事館・南部町郵便局・秋田商会は下関市唐戸を代表する明治から大正時代にかけての洋風建築で、 対岸の門司港のレトロな町並みとともに、懐かしい町並みである。 山口県の歴史散歩 山川出版社 山口県の歴史散歩編纂委員会 1993年 角川日本地名大辞典 角川書店角川 日本地名大辞典編纂委員会 1988年 歴史の町並み再発見 葦書房 読売新聞西部本部 1993年 |
旧英国領事館 |
秋田商会 |
南部町郵便局 |
亀山八幡宮の日本最大の石の鳥居 旧山陽道の起終点の石碑が立っている フグ(当地ではふく)の暖簾?? |
日清講和記念館 |
赤間神社 |