岩国市由宇町中央の町並 
由宇町中央2丁目
地図


由宇町中央2丁目の町並

 岩国市由宇町中央は山口県東部、由宇川河口部南側に位置する。
江戸期は岩国藩領、由宇組の属した。慶長15年(1610)検地帳には由宇郷とみえ3,598石余、寛永2年(1625)検地帳では単に由宇とあり4,526石余、「地下上申」5,975石余、「旧高旧領」5,137石余とある。
享保増浦村記によると、享保11年(1726)の人数3,984人で、その1/5は由宇川河口の南側の発達した浦市に住み、商業や漁業を行っていた。浦市には76艘の帆船を保有していた。そして由宇浦に50軒・有家浦に12軒の舸子屋敷(かこやしき)が指定されていた。由宇浦の市の長さは2町20間程あり、舸子屋敷を含んで100軒ほどが建ち並ぶ町場が形成されていた。
江戸後期から末期にかけて廻船業が発達し、250石積から500石積の船を保有するものが多くなり岩国船と言われていた。文化年間(1804〜18)には港も整備され、大坂へ米・紙・織物を輸送し、他国からの廻船入港も多くなり、港は繁栄した。
由宇川流域の開作・由宇川河口の埋め立てによって、耕作面積が大きく膨らんだ。耕地の大半は水田で、水利も気候も良く、水田農業だけでも生計を立てられた状況であった。それに藩政の中期から織物業が普及し、経済的には恵まれた村であった。
今回訪ねたのは由宇川河口近くの河岸沿いである。様相は漁師町の佇みであった。この場所も古い町並には違いないが、かって繁栄していた港町の中心部はここよりもう少しJR由宇駅よりと思えたが、夕方薄暗くこれ以上写真撮影はダメと思い、中心部を探し訪ねるのを諦めたが、チョット残念な探訪だった。
町並み指数 20
参考文献    
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  1988年
  山口県の地名  平凡社  下中邦彦  昭和54年 


由宇町中央2丁目の町並

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由宇町中央2丁目の町並
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