岩国市周東町の町並 
周東町下久原(旧高森宿)
地図


周東町下久原の町並
 岩国市周東町下久原は山口県東部、島田川中流域に右岸に位置する。
江戸期の下久原は萩藩領、熊毛宰判に属していた。近世初期にそれまで椙杜(すぎのもり)と呼ばれていた地を分割して久原村が成立し、文化年間(1804〜18)に久原村が上久原村と下久原村に分村したもの。村高は「注進案」では2,717石余、「旧高旧領」では2,731石余。
「注進案」によると当時の家数455、うち高森市の屋敷は124、人数1,738、牛155、馬19。
農家以外に商人26・大工10・桶屋5・紺屋5……などがあった。
高森市は山陽道の宿駅として、下久原村に含まれ萩藩東端の要地として発展してきた。地下上申絵図には街道を挟んで124軒の市屋敷が見える。高森本陣は元禄7年(1694)以降は泉町の相川家が勤め、脇本陣は明和年間(1764〜72)以降山本家が勤めた。幕末期、高森本陣は対幕府折衝(長州戦争の休戦協定)の場として脚光をあびた。
江戸中期明和年間以降、島田川を改修して川船が通され、高森ー浅江(現光市)間を運航し、高森は荷物の集散地として賑わった。船運の発展に伴い、寛政4年(1792)から熊毛代官所に専任の「高森御物送り役」が置かれ、幕末の慶応年間まで続いた。
古い町並は旧山陽道に沿って展開している。かっては山陽道を2分して中央に用水溝が設けられていたそうだ。高森本陣の建物をはじめとして伝統的な様式の家屋が数多く残るが、妻入りの家屋が多い。平屋であったり中2階建て、2階建ての建物が混じっているがいずれも妻入りの建物。只、本陣建物は誰も住んでおられないようで、痛みも見られたのでこれからどうなるのだろうと思いながらの探訪だった。
町並み指数 40
参考文献    
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  1988
  山口県の地名  平凡社  下中邦彦  昭和54年

周東町下久原の町並

周東町下久原の町並

周東町下久原の高森本陣建物

周東町下久原の町並

周東町下久原の町並

周東町下久原の町並

周東町下久原の町並

周東町下久原の町並
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