岩国市下は山口県西部、錦川中下流左岸、柏木山南西麓に位置する。 江戸期は岩国藩領、河内組に属した。江戸初期には河内村という大村であった。河内村の村高は慶長15年(1610)検地帳3,430石余、寛永2年(1625)検地帳5,125石余。 寛永3年(1626)には楮石高が畑石高を上回っており、藩政初期には河内郷において紙漉業が盛んであった様子が伺える。そして寛永20年(1643)には河内村は28ヶ村に分割され、その一つの村として成立したのが今回訪ねた下村の細利集落。 村高は慶安4年(1651)153石余のうち田20石余・畑77石余・楮高55石余、寛文12年(1672)には楮高の減少により126石余、宝永元年(1704)144石余、天保7年(1836)196石余、慶応2年(1866)192石余のうち田24石余、畑127石余、楮高32石余、「旧高旧領」192石余。 寛文年間(1661〜73)の家数61。享保11年(1726)の家数66・人数314、牛31。下村は耕地が少なく、大半は畑地のため紙漉きによって生計を立てるものが多かった。 今回訪ねた下村細利は河岸段丘上というより、錦川に迫る山肌の急斜面に無理やり集落を作ったような感じで、急斜面を支える石垣が多く積まれている集落だった。積まれている石も、錦川の川原から持ってきたものや、山を崩して造成した時に出た石を積み上げたもののようだった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 1988年 山口県の地名 平凡社 下中邦彦 昭和54年 |
下(細利集落)の町並 |
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