岩国市本郷町本郷は山口県北東部、錦川の支流本郷川の中流域で、本谷川や宇塚川が合流する地点に開けた町である。 江戸期は萩藩領、奥山代宰判に属す。慶長15年(1610)の検地帳では、山代本郷とあり3,953石余、寛永2年(1625)の検地帳では本郷とあり7,695石余、「元禄郷帳」では山代本郷2,548石余、「天保郷帳」5,490石余、「注進案」2,712石余、「旧高旧領」2,714石余。 藩は寛永8年(1631)から紙の専売制度を実施して、楮や紙の御仕入銀を定め、農民には楮や紙の請量を定め藩の収入増加を図り、本郷村でも紙漉きが盛んに行われた。 江戸期を通じて藩は当村に山代宰判の勘場(代官所)が置かれた。市日に商人との取引を認めたので、本郷市を中心に山代宰判の政治・経済の中心地として発展し、慶長年間(1596〜1615)には本郷市村と本郷郷村に分けられた。 寛延3年(1750)の本郷市村の家数は298・人数1,214であるが、本郷郷村は欠落して不明。「注進案」によると家数372・人数1,460とある。また「注進案」の別記によると農商雑居の上市21・中市19・新町31・今市26・河原町18・田中町48の計163軒の市屋が見られが、瓦葺は15軒に過ぎなかった。 慶長15年1610)検地帳では市屋敷38軒、寛永検地帳では市屋敷61軒と増加していて、その後寛文年間(1661〜73)頃までに町並がほぼ出来上がり、上市より南に中市・新町・河原町・中田町、新町に直交する勘場前の今市ができ、町名が付けられた。そして市の長さは約1kmほどであった。 今本郷町本郷を歩くと、江戸時代そのままの町割り、町並が残っている。茅葺だったのが赤瓦葺きにはなっているが、明治時代と言ってもいい町並が現代に残っている。伝統的な様式の商家建物が連なる光景は見事で、古くから政治・経済の中心地だったことが判る町並だった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 1988年 山口県の地名 平凡社 下中邦彦 昭和54年 |
本郷町本郷の町並 |
本郷町本郷の町並 |
本郷町本郷の町並 |
本郷町本郷の町並 |
本郷町本郷の町並 |
本郷町本郷の町並 |
本郷町本郷の町並 |
本郷町本郷の町並 |
本郷町本郷の町並 |
本郷町本郷の町並 |