飯南町野萱は山陰・山陽の分水嶺をなす、中国山地の背梁部、広島・島根両県の県境、神戸川 (かんどかわ)(来島川)の中流域に位置し、町中を神戸川が北流し来島ダムに注ぐ。 古くから山陰・山陽交通の関門、中国山地の要衝として知られていた。 江戸はじめは松江藩領、貞享元年(1684)より松江藩の支藩広瀬藩の飛地領となる。只、天和2年(1682)より4年間は幕府領大森代官所支配地となる。 野萱村の中央を出雲街道(備後街道)(現国道54号線)が通り、三日市で出雲〜今市道(現国道184号線)が分岐している。 この地も「たたら製鉄」の生産で経済が成り立ち、天保15年(1844)には砂鉄採取のための鉄穴流しが多くの所で行われていた。旧赤来村域では49ヶ所と云われ、それに係る家が70軒、従事人数361とあり、販路は主に備後方面だったようだ。 三日市の牛馬市は慶長年間に始まったと云われ賑わっていた。 文久3年(1863)の家数100・人数385。「皇国地誌」によると家数100・人数471・牛179・馬37で、職業は男女とも農業とある。 今、古い町並みは旧街道に沿って展開している。旧街道に面して切り妻造りの2階建て平入りの建物が連なったいる光景は見事である。その内の何軒かは今でも旅館の看板を揚げて営業されている。殆どの建物は大正期から昭和にかけてのもので比較的新しいが、屋根の高さと軒先の高さを統一したような町並みはなかなか見応えある町並みであった。 この地では赤瓦とともにトタン葺きの家屋が多く散見できたよう思う。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和54年 島根県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1995年 |
野萱の町並 |
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