平田市猪目町の町並 
猪目町
地図


猪目町の町並
 天正年間(1573〜92)頃の記録とされる杵築大社(出雲大社)古今覚によると、猪目浦は杵築大社領12郷7浦の一つとされていた。
慶長初年頃(1596)と推定される毛利氏奉行国司元武の書状に、杵築大社北島氏に対して、当浦の者がみだりに宮山に入り松木を盗伐することを取締るよう命じた書簡が残っている。
正保国絵図に浦名があり、元禄10年()出雲国郷帳には「三浦・猪目」とあり、三津浦と合わせて高付けされ46石余、「雲陽大数録」では高なしとみえる。寛政4年(1792)の万差出帳でも村高の記載はない。
家数は寛政4年(1792)に73(全て百姓)、天保14年()に92。人数は寛政4年(1792)に341で全て百姓、他に船27艘・大敷網1川・焼入れ網1川があり一部は漁業を生業としていた。文久2年(1862)には472とある。
幕末頃には猪目の飯島屋・吉本屋・中島屋・西前屋などが廻船業を営んで活躍していた。
現在、猪目町は40世帯そこそこで人数は130人程度の過疎集落である。幕末頃には廻船業を営んでいた家があったようだが、今町並みを歩いてもそれらしき大きな家屋は見当たらなほど、鄙びた漁村集落になっている。板貼りと白漆喰の壁が織り成す調和の取れた小さな過疎の漁村集落であった。
町並み指数 30
参考文献     
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和54年
  島根県の地名  平凡社  (有)平凡社地方資料センター  1995年
  

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