東広島市は広島県の中央部南寄りにあり、志和堀は東広島市の最北端に位置する。 今の志和堀小学校の辺りに中世の財崎城があり、その周辺には新市や堀市の地名が残っている。元和5年(1619)の安芸国知行帳には堀村とあり、訪ねたこの辺りは堀市と呼ばれていた所だ。江戸時代の堀市は東西2町・南北3町50間の市場町で、61軒の店が並び、穀類・醤油・酒・豆腐・小間物等を売っていた。大工や木挽・紺屋・木綿仲買もいたと云う。 文政2年(1819)の記録では家数454・人数2,017であった。 江戸期から明治にかけて中心部であった堀市は市街化を形成し、ここに村の中心施設の村役場や小学校・郵便局などが置かれ、賀茂地域北部の物産などがこの地に集まり在郷町として発展していた。 古い町並みは、堀市であった辺りに展開している。伝統的な様式の商家の建物だが、連続して建っているとは言えない。切妻であったり、入母屋であったり、また妻入りであったり平入りであったりと統一性は無いようだ。瓦も赤褐色だったり黒かったりと入り混じっていたが、赤褐色の瓦が多かったように思う。この志和堀のランドマークであった寛延2年(1749)創業の千代乃春酒造も昨年廃業されたそうだが、茅葺き屋根の主屋はそのまま健在であった。そしてこの地には比較的多くの茅葺き屋根の農家建物が残っていたが、何時までも残っていてほしいものと思う。 広島市街から車で3〜40分の距離、この町並よりも廻りの風景は日本の農村風景と言えるよい景観を示していたのが印象に残る探訪だった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和62年 広島県の地名 平凡社 下中邦彦 1982年 |
志和町志和堀の町並 |
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