竹原市街から西約10kmのところに東広島市安芸津町三津がある。三津湾の最奥に三津港があり、古くから町ができていた。 標高400〜500mの山地が三方を囲み、三津大川とその支流が作る谷が古くからの南北交通路となり、河口に港町が形成された。村名は正平13年(1358)の小早川実義安堵申状にも記載されているように古くからの港町だった。 江戸末期の「芸藩通志」には家数686・人数3,361・船81(50石以下)とあり、住人のうち5分方は百姓、4分方は商人、1分方は漁師で、百姓の内には職人・酒造・味噌醤油兼業のものもあり、魚商人も多くいて、他村から集まる魚の問屋や仲買人による市が盛んであったと言われる。これは好漁場であった三津湾に面していたと共に、近隣諸村の漁民による入会採魚の慣行が定着していたからと思われる。 慶安2年(1649)広島藩は三津をはじめ・竹原・木浜・尾道の4ヶ所に藩蔵を設置して、近郊の年貢米を集積し、広島城下への回送や大坂への移送をおこなった。このため米の集散機能による村の活況と、お蔵所から払い下げられた米による酒の醸造が盛んとなり、文化11年(1814)には酒屋は7軒にもなった。 明治に入ってからも酒の需要はますます増大し、明治15年には三津村の酒造家数は26軒にもなった。明治31年三津村の酒造家が「軟水による改良醸造」に成功してからは、三津流と称される広島醸造法として三津杜氏によって全国に広められた。三津杜氏は昭和7年には338人の多数に達した。 また三津の特産品に酒の他に赤レンガがある。三津レンガとしてその名声は全国に及び、一時大変な活況を呈した。 古い町並みは、今の国道185号線の前身の旧街道筋に展開していた。伝統的な様式の家屋が連続している状態ではないが、古い集落らしく古い形式の家屋が点在している。現役の造り酒屋も古い様式の建物で健在であり、美味しい地酒としぼりたての酒粕を買って帰った。 三津がこの地の経済の中心地だった証拠に、現役の銀行の支店が場違いと思えるようなところにありビックリした。 広島県の地名 平凡社 下中邦彦 1982年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和62年 |
安芸津町三津の町並 |
安芸津町三津の町並 |
安芸津町三津の町並 |
安芸津町三津の町並 |
安芸津町三津の町並 |
安芸津町三津の町並 |
安芸津町三津の町並 |
安芸津町三津の町並、奥の赤い看板は銀行 |