浜田市三隅町湊浦は、島根県の西部、浜田市街から南西約17km程の日本海に面し、三隅川の河口右岸に位置する。 江戸時代は浜田藩領で、湊浦は浜田藩の重要港とされていた。 湊浦は江戸時代初めは西河内村に含まれていたが、正保4年(1647)の古田領郷帳では、同村かわ分か、三隅湊として記載されている。だが、天保郷帳では西河内村枝郷と注記して湊とみえ、江戸時代には必ずしも統一されていない。 慶応2年(1866)の村々生高家数人高等書抜帳では、家数140・人数576とある。三隅川河口には古くから湊が開けていたが、延宝(1673〜81)の初め、古湊(古市場村)に流れ込んでいた三隅川を封鎖して、今の湊浦に河口を付け替えたという。 元和5年(1619)の古田領舟役加子役帳に「ミなと」と見え140石積から75石積までの舟が7艘あったとある。浜田藩の浦番所が置かれていた。また三隅湊に遠見番所があったとの記録もある。 宝暦9年(1759)の浦方諸事書付帳によると川船16・網船17・和布刈船5とあり、寛政元年(1789)には廻船25・猟船21を数える。 主な産物は米・半紙・砂鉄・鉄・そして海産物であった。三隅川の河口では砂鉄をとっていた。 湊浦は鉄道の開通と共に中世以来の川口港としての繁栄は失われ、港も無くなってしまった。 今町並みを歩くと、港町としての様相は全くない。まあ街道筋の、かって賑わっていた町という感じの町並みだった。そんな中で造り酒屋さんが現役で酒を造っておられ、その一角が古い町並みとして評価できると思う。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和54年 島根県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1995年 |
三隅町湊浦の町並 |
三隅町湊浦の町並 |
三隅町湊浦の町並 |
三隅町湊浦の町並 |
三隅町湊浦の町並 |
三隅町湊浦の町並 |