萩市佐々並は、旧旭村佐々並で2005年に萩市と合併したもの。阿武川の上流佐々並川の流域に位置する。江戸時代は萩藩領。 萩と防府を繋ぐ御成道(萩往還)が集落内をとおり、参勤交代に利用されていた。 「防長風土注進案」によると、往還沿いに62軒の家並みがあり、御茶屋(本陣)・御客屋(脇本陣)や駅・高札場が置かれ、商人15軒・宿人夫馬持47軒があった。 駅(宿)に常設の人馬数は、元文5年(1740)の馬30、文化3年(1806)に人夫17・馬30、弘化2年(1845)も人夫17・馬30であった。 佐々並宿は明木宿と同様、規模が小さく宿場の負担が過重であるとして、宿運営費を藩費から支出していた。 佐々並村は「防長地下上申」では元文5年(1740)の家数455・人数2,043。「防長風土注進案」では弘化2年(1845)の家数404・人数2,176とあり、百姓以外に大工3・木挽5・桶屋1・鍛冶屋1であった。また百姓身分で煮物売旅籠屋商人10・醤油草履商人10・紺屋1・酒造商売1等がいた。 佐々並村では細々と農業を主としていて、換金作物は稗・蕎麦があり、現金収入は木炭であった。 今古い町並みは明木宿同様、藩政時代の宿場附近に展開している。切り妻造り平入りで、明木宿と比べ2階建ての家屋が多い。又ここでも赤褐色の瓦葺きの家屋が多かった。 宿場町・街道筋の当時の名残が色濃く残る田舎の農村集落だった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 1988 山口県の地名 平凡社 下中邦彦 昭和55年 |
佐々並の町並み |
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