萩市浜崎の町並み 
浜崎町
地図


浜崎町の町並み
 萩市浜崎は古萩の北にあり、松本川河口西岸で萩城下三角州の北端に位置している。
浜崎は萩城築城以前から漁村であり、海上交易の中継点であったと思われる。城下町成立後は漁港でであるとともに、商港として萩城下の海に開かれた玄関口となった。
浜崎新丁は毛利氏の萩入城以後新たに開かれた地で、元禄元年(1688)から同5年の間に開かれたと云われる。
浜崎町・浜崎新丁は廻船が出入りする商業地帯として発展し、魚市場で取引を行う魚問屋・仲買人の他、北前船の積み荷を扱う北国問屋も発達した。越後・越前・加賀等との交易が盛んに行われ、萩城下では浜崎が最も経済活動の活発な所であった。
弘化3年(1846)の浜崎町方新丁風土帳によると、浜崎町。浜崎新丁の両町の家数518・人数2,154であった(士族は除く)。嘉永4年(1851)の記録によると、浜崎町人の職業別軒数は358軒中小売商と問屋が過半数を占めていた。そのうち小売商は魚商が三分の一を占め、問屋は魚問屋に次いで廻船問屋が多かった。
浜崎浦については、浜崎町同様城下町の一つで、寛政元年(1789)には家数122。幕末の「郡中大略」によると安政2年(1855)には家数131・人数463とある。船数を見ると「郡中大略」で寛保2年(1742)には網船8艘・漁船54艘有ったものが、安政2年(1855)には網船8艘・漁船11艘に減少している。鰯漁の不振が続いたためで、隣接西側の浜崎町とは異なった現象を見せている。
今古い町並みは、浜崎本町筋を中心に展開している。切り妻造り中2階建て平入りの伝統的様式の家屋が連なる。千本格子や虫籠窓を残した家も多く、瀬戸内から近畿圏の古い伝統的な建物と似ているのは、北前船によってもたらされた影響だろう。屋根瓦は黒く赤褐色がないのは、それほど上方の影響が大きかったためだろうと思う。
平成13年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され、町並み保存が図られている。
浜崎本町筋の東側の東浜崎町に萩藩御船倉がある。藩主の御座船を格納した場所。
現在船倉は一棟しかないが、天保年間(1830〜44)の「八江萩名所図画」では四棟が描かれている。明治初年と昭和25年に取り壊された。今では陸地に倉庫のように建っているが、元々倉の中まで水を引いて、大型船が自由に出入り出来た。積まれている石は突堤の石垣であったもの。屋根を備える旧藩船倉で、今日残る唯一のもです。
町並み指数 60
参考文献    
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  1988

浜崎町の町並み

浜崎町の町並み

浜崎町の町並み

浜崎町の町並み

浜崎町の町並み

浜崎町の町並み

浜崎町の町並み

浜崎町の町並み

浜崎町の町並み

東浜崎町の萩藩御船倉

浜崎町の町並み

浜崎町の町並み
古い町並みへ戻る