萩市江崎の町並み 
江崎
地図


江崎の町並み
 萩市江崎は山口県最北端で日本海に面した県境の漁村である。
享保12年(1727)に賀川村から分村して成立した村。古くは江津の湊と呼ばれ、天保13年(1842)に萩藩が作った「防長風土注進案」によると、阿武郡18郷の米を集め若狭国から京・大坂に向かって積出していた。また当時の家数328・人数1,306、船が120艘あり、うち廻船4艘、漁船は160艘あった。328戸のうち浦方戸数は135・地方戸数192を数える。
湾入りした江崎港は東西を山に囲まれた天然の良港で、鯛・鯖・鯵・鰤など多種多様の魚が水揚され、浜において売買し、仲買人に引き取られて石見津和野や安芸までも売りに出された。
また西廻り航路が開設されてからは、長門国の玄関口としてその重要度を増した。廻船として500石積み一艘を含む4艘を持ち、阿武地方の物資集散地として機能していた。交易の品々は米穀・半紙・黒保・蝋鉄・刀金・綿・芋・端物・古手・肥し物・材木・板類・煙草・油・茶・畳表類・塩・薪・生魚・干魚などあらゆるもので、他国の船が入津の際は問屋が立会で売買した。
湾は深く入りこみ、その奥に港があるので、日本海の荒波の影響も受けない天然の良港で、U字型の入江の両側に船留まりが設けられている。
港の入口にはまるで防波堤のように突き出た小島に、六角堂を持つ西堂寺が港を守っているかのごとく建っている。今の建物は元禄9年(1696)の再建と云うから値打のある六角堂だ。
町並みを構成する個々の建物も、特別豪華な家屋は見られなかったが、伝統的な様式の建物が連なっていて、古くからの物資集散地、港町の名残が色濃く残る現役の漁師町である。
建物は板貼りを多用した建物が多いのは漁師町の特徴であるが、中2階建ての家屋が多いのも特徴だろう。
掲載したのは町並みの写真ばかりだが、この港を取り巻く環境や風景はすごく心に響く癒しの風景だと思う。漁村の原風景と言っていいだろう。
訪ねたのは4月末の天気の良い夕方。港の水の色も真っ青で、夕陽があたった港・漁船・民家の取り合わせが最高によく感激した。
一旦、近くの宿に着いてから、再びこの漁港に戻り、暮れゆく漁港の風景を楽しんだ。
町並み指数 50
参考文献    
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  1988
  山口県の地名  平凡社  下中邦彦  昭和55年

江崎の町並み

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