萩市明木(あきらぎ)は、旧旭村明木で2005年に萩市と合併したもの。萩市街から南に約10kmの位置にある。集落内を萩から防府へ抜ける御成道の萩往還がとおり、参勤交代に利用されていた。また、下関に至る赤間関街道の分岐点であり宿が置かれていた。 明木村は「防長地下上申」では元文5年(1740)の家数460・人数1,958。「防長風土注進案」では弘化2年(1845)の家数420・人数1,892とあり、農業者以外に家大工3・木挽19・桶工1・鍛冶1・紺屋1・酒屋1・油屋1・煮物売旅籠屋17等がいた。 明木市には萩往還や赤間関街道がとおり、「防長風土注進案」によると家数73のうち商人20・宿人夫馬持53、御客屋(脇本陣)1があった。安政年間(1854〜60)には明木市に御茶屋(本陣)1・御用屋敷1があった(郡中大略)。 換金作物はラッキョウ・楮・麻芋があり、現金収入は薪炭で、萩まで萩往還を利用して陸路運ばれていた。 今古い町並みは藩政時代の宿場附近に展開している。切り妻造り平入りで、中2階建ての伝統的な様式の商家の建物が点在している。萩市街には無かった赤褐色の屋根瓦の家屋が多いのも不思議な現象だ。旧街道筋の宿場町であった名残が色濃く残る小さな宿場町であった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 1988 山口県の地名 平凡社 下中邦彦 昭和54年 |
明木の町並み |
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