江津市都野津町の町並 
都野津町
地図


都野津町の町並
 江津市津野津町は江津市街から海岸線に沿って南西に約5kmのところで、日本海に臨むところに位置し、半農半漁の村であった。
江戸期を通じて浜田藩領で、跡市組に属していた。
海岸部を東西に通じる山陰道(浜田街道)と跡市村を経て安芸方面に通じる街道が分岐する交通の要衝で、浜田藩は当地に津野津口番所を設置した。
鰯や鯖を主にした沿岸漁業は盛行で、近隣の村々と浦境論争や漁場論争を繰り返している。津野津の朝売りと称する生魚類の行商は、跡市村を経て奥部の邑智郡山間部まで進出し、後年の津野津商人の基礎を造った。
沿岸漁業の発展はさらに海運業をも発展させた。冬期の農漁閑期の副業として行われた浜砂鉄の採取及び南方山麓地帯での鉄穴流しによる砂鉄は、江川流域のたたら場へと送られたが、重量物資である砂鉄運搬には早くから舟が用いられた。
人数については、延享3年(1746)545、文化8年(1811)1,092、慶応4年(1868)2,032と狭小な地域に人口密集地域を形成していた。
「郡村誌」によると家数は490・人数は2,559とあり明治に入っても高い密度を示している。民業は農業414・商業57・漁業32・大工6その他だが、物産として干鰯・塩魚があり、漁船として63隻が登録されているから、農業の中にかなりの漁業兼業者がいたものと思われる。また商業57の内多くは津野津商人と云われる行商従事者であったのだろう。
その他、瓦の生産も見られ、豊富な陶土層に恵まれ、後の石州瓦の主産地を形成する基礎がもう出来上がっていたようだ。
古い町並みは、国道9号線の東側地域一帯で、洋風の旧津野津役場前の道の両側に展開していた。農業・漁業を主体にした町であったが、一般的な漁村の様相とは異なり、大型の家屋が多く点在する町並みである。赤褐色の瓦を乗せた、中2階建てで切り妻造り又は入母屋造りの大型家屋が並ぶ光景は、繁栄した在郷町の様相であった。
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参考文献    
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和54年
  島根県の地名  平凡社  (有)平凡社地方資料センター  1995年

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